Ume「ダンスは表現と承認の繰り返し」(No.005)

Dance

今もダンスに情熱を持ち、活動を続けるダンサーが、なぜダンスを始めて、今までどんな道を歩んできたのか。
そろそろ、自分のダンス歴やダンス感も掘り下げてみたいと思い、ダンス友達のS氏といつも写真をとってくれるCanCam氏に取材をしてもらい、ダンスを始めてから今までについて、そしてこれからの夢を語らせてもらいました。

取材日:2022年10月8日

価値観が醸成されるまで

S氏:私、Umeさんと知り合ってから結構経ちますけど、昔の話とか聞いたことなかったですねー。ダンスはいつ始めたんですか?

梅坪 大輔(うめつぼ・だいすけ)
ダンサーネーム:Ume
1981年、北海道、音威子府村生まれ。ロック、ソウル、そして最近ではハウス、とマルチに踊る41歳おっさんダンサー。年齢相応の小太りな体型ではあるが、音楽の質感を感じ踊る姿は見るものに印象を残す、類まれなる表現者。
現在はソウルダンス練習会を主催し、自身の愛するソウルダンスの普及活動をしている。
一方、平日は持続可能なカーボンニュートラルの社会を目指して、電力会社で再生可能エネルギーの拡大を目指し日々奮闘している。

Ume:高校3年の夏だね。その時「RAVE2001」っていうダンスコンテストのテレビ番組があって、それに出場してた「電撃てつkick」っていうチームのショーケースに衝撃を受けたのさ。んで、その時この番組を見て同じように影響を受けた友達と、見よう見まねで踊ったのが始まりです。

ちょうどそのショーケースをビデオで撮っていた友達がいて、それをダビングして共有。

友達とパート分けして覚えて練習。

テレビの中のダンサーたちにめちゃくちゃ憧れて、角度とか真似して。今思い出すと、かなりダサダサな感じだったと思うけど、その時の気分はテレビと同じ感じでできてる!って思って踊ってた笑

S氏:ジャンルはなんですか?

Ume:ロック、と言えるものではないかもしれないけど、ロック笑 

S氏:やっぱりロックなんですね。大学でもダンスしてたんですよね?

Ume:そうそう。高校ではRAVE2001を見ながらダンスってかっこいいなーっていうくらいの気持ちで、ダンスは自分とは別世界のものだったんだけど、大学行ったらテレビでやってるやつを踊ってる人たちがいたわけよ!!

「あれだ!見つけたー!」

って気持ちになって、でもダンスしてる人たちって「ちょっと怖い」って先入観があったので、ビビりながら話しかけたのを覚えてる。

その時はダンスサークルとかはまだなくて、ただのダンス同好会で少人数だったけど、めっちゃダンスかっこいい先輩たちと、基礎を教えてくれる優しい会社員ダンサーがいて、その人たちを目標にダンスに打ち込みました。

めちゃくちゃ練習したなー。

登山すると左膝痛くなるんだけど、これは超激しいスクービードゥーを当時何回もやったことが原因だと思ってる笑

CanCam氏:チーム活動はしていたんですか?

Ume:一番思い出に残ってるのは、大学院の1年から2年くらい活動した「Capriccio orchestra」っていうチームかなー。ダンスを上達したいっていう気持ちと仲良く楽しむって気持ちでいっぱいのチーム。

当時はスマホなんてないから、イベントではビデオカメラで映像撮って、イベント終わってそのままメンバーの家に行って、そのビデオカメラをテレビに繋いで朝まで反省会。だって、そこでしか自分の踊りを見れないからね。

イベントの度にこの繰り返し、めちゃくちゃ楽しかった。

CanCam氏:楽しそう笑

Ume:あともうひとつ。「oreraorange」っていうチームも楽しかったなー。

このチームは大学の先輩たちが元々やっていたチームで、自分は一回しか加わったことがなかったんだけどね。見てる時も大ファンだったし、一緒に踊った時は最高に楽しかった。

「どうやったら面白い?」とか「どうやったら盛り上がる?」とかを、考えながらショーケースを作っていくのも楽しかった。

でも時々、楽しいが勝っちゃって練習が少しダレる時があるんだけど、その時一人の先輩が言ってた言葉、

「練習は全力で詰める、本番は全力で楽しむ。」

今も覚えてて、大事にしてる。

CanCam氏:それ、Umeさんが大事にしているのなんだかちょっとわかる気がします。

CanCam氏:憧れたダンサーとかいたんですか?

Ume:大学時代は、Be Bop Crewです。今はYouTubeとかでサクッと見れるけど、当時はVHS。

まず大学の先輩が本州(九州?)のクラブのショーケースのビデオ映像をどこからともなく入手、それをダビングしてもらって研究しまくった。

家のテレビデオでテープ擦り切れんばかりに何回も見てマネしてた。

特に、Susumuさんのロックダンスはめっっちゃくちゃかっこよかった。角度からソロムーブから雰囲気から、なんでも真似してた。

CanCam氏:さすがBe Bop Crew。。。

Ume:高校の時にテレビの真似で始まったダンスは、大学の間でダンスはかっこよくて楽しむものという概念に醸成されたんだと思う。

Capriccio orchestraのShowcase
[Column:テレビデオ、VHSの時代]
動画はビデオカメラで撮影し、家ではVHSでしか見れない時代があった。
イベント後にはみんなで同じ画面を覗き込んでチェックする時代があった。

今はスマホですぐに動画が共有できる便利な時代。
みんなで画面を見つめる時間は格段に減ったと思う。

便利さが与えるものと便利さで失うもの、その両方があることに気付かされ、今一度みんなで画面を見つめる時間を取り戻してみようと思った。

テレビデオについてはこちら

【懐かしー!】テレビにビデオデッキがくっついたテレビデオって知ってる?
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ダンスがつなげる仲間

S氏:社会人になってからは、梅さんは中国に行ったんですか?

Ume:ちょ、早いわ!中国行ったのは30歳以降や。

社会人になってからはダンスからは少し離れたと思う。東京来て、チーム活動とかも特にないし、あんまりダンスの記憶が、ないかな。大学時代の友達とたまに練習してたくらい。

27歳くらいの時にシングルになったことをきっかけにダンスを再開しました。

S氏:シングルって、、、なるほどですね。

Ume:そそ笑。そこで出会ったのがダンスサークル「音浜クラブ」

ダンスを通じて知り合った仲間と練習したり、クラブ(横浜のLuther)に行ったりするのが楽しすぎて、週末は決まってダンスっていう生活をずーっとしてました。

横浜から千葉に引っ越した後も金土日は2泊3日で横浜に来てたし。で、その時お世話になったのが、マンボー横浜西口店。

一泊2000円くらいにできるし、シャワーもあるし、マンガもあるし、ほんと、おせわになりました。笑

週末だけバックパッカーみたいな、旅人みたいな気分になってちょっとそれも楽しかった。

S氏:まんきつだったんですね。笑

Ume:そうそう。満喫サイコー。

S氏:そろそろ中国ですね。

Ume:はい、そうです笑。33歳の時に中国へ赴任することになって、もうダンスは続けられないかも、ってちょっと諦めかけてた。でも、ダメもとの気持ちで現地法人の同僚に聞いてみたら、すぐ探してくれて、ダンススタジオが見つかったのよ!

S氏:運命ですね!

Ume:そうだねー。中国赴任中の経験は自分の人生の中でもすっごい重要なものになっているよ。

言葉の壁をダンスで乗り越えて仲良くなることができたことが、赴任期間をより充実したものにしてくれたんだ。ダンスのイベントのために、いろんな場所へ行ってたくさんの友達ができて、その仲間と心を通わせることができたことは、すごい大事な思い出。

S氏:やっぱり、ダンスは言葉がいらないコミュニケーションなんですね。

Ume:ほんとそうだよ!

赴任期間中にお世話になったダンススタジオの孫さんは、中国の『先生の日』には毎年連絡をくれるんだよね。たまにお互いの動画を送り合ったり近況報告しあったりしてる。

彼は帰国後に一度日本に遊びにきてくれたので、いつか家族で必ず遊びに行こうと思ってる。

S氏:ダンスがつなげてくれた関係ですね。

Ume:うんうん。大学時代、音浜クラブ、そして中国赴任期間。その間、ダンスでたくさんの人と繋がることができて、それが今でも続いていることに本当に感謝してます。

赴任先の会社のイベントでも女装して踊って笑

それでみんなに知ってもらえたんだよね

これもダンスの力笑

中国でお世話になって孫氏とのツーショット
中国での最後のレッスン後に
[Column:Ta-Bo-さんとの出会い]
Ta-Bo-さんがどんなダンスを踊るのかを知ったきっかけは、中国で孫さんが見せてくれた動画だった。

かっこよかった。

帰国後に東京でTa-Bo-さんのワークショップがあることを聞いて参加を即決。ワークショップの内容は圧巻。目から鱗の連続。絶対ものにしたいと思った。

だから『とにかくこのチャンスは掴む』って思って東京でのワークショップを依頼。
今までの2回の東京WSを開催できた。
必ず3回目も実施したい。

感性もこだわりも尊敬しているし「俺は自由に踊っていたい」っていう信念を貫いているTa-Bo-さんから、これからもたくさん吸収したい。

これからのダンスライフ

CanCam氏:Umeさんてパイオニアですよね。

Ume:パイオニア?どゆこと?

CanCam氏:Ta-Bo-さんのワークショップや、ソウルの練習会を自分で始めてるじゃないですか。

Ume:そういうことね。自分で選んで決めたことならうまくいかなくても納得できるし自分で工夫していけるでしょ。

今まで全部そうしてこれたわけじゃないけど、ダンスは自分がやりたくて自分で始めたことで、ダンスのおかげでいろんな人と出会って、居場所ができて、本当に感謝している。

だから、できるだけチャンスがあったら掴んでいきたいなって思ってます。

CanCam氏:そうなんですねー。これからも(練習会)よろしくお願いします。

S氏:これからUmeさんのダンスライフはどうなっていきそうですか?

Ume:ソウルダンスを続けていきたいと思ってる。よりかっこよく、よりかっこよく、を追い求めて変わっていきたいと思ってる。

あとは、ソウルダンスを踊る人を増やしたい、集めたいな。このブログの目的はそれもあるんだよね。

もっと読んでもらえるようなソウルダンスの記事を書いて、それでソウルダンスに興味持ってもらって、それをきっかけに自分がいいと思うものと近しい感覚を持つ仲間とダンスしていきたいな。

ライフステージが変わっていって、住む場所も変わるかもしれないけど、ずっと続けていきます。

S氏:これからもよろしくお願いします。

CanCam氏:Umeさんにとってダンスとは何ですか?

Ume:ダンスは感性の開放による自己表現だと思うんだよね。それが人に伝わって反響があった時、めちゃくちゃ嬉しいし。自信になる。

で、また新しい自分を表現したくなる。

いい時もあったり、うまくいかない時もあったり。

病みつきになるよね。きっとやめられないと思う。

S氏:ダンスって常に対話なんですね。

Ume:そうそう。ダンスは自己表現から始まる対話なんだよね。そもそもダンスはコミュニケーションツールだしね。

ソウルダンスはもともとパーティーダンスやペアダンスだったんだよね。

だから好きなのかな。

[Column:音楽とダンス]
音楽はダンスにとって必要不可欠なものだとずっと思ってきた。
だけど、最近それが変わってきた。
音楽と対等なのではなかろうか?と。
音楽がなくてもダンスは踊れる。自分の中にリズムがあるから。
古代の人間たちは音楽がない状態で、コミュニケーションとしてダンスを踊り、共同体意識を醸成していたという研究報告もあるらしい。
自分の中でのダンスが少し自由になった気がした。
所属するチームのShowcase
[Column:アフタートーク]
CanCam氏:人生最後、死ぬ前に食べたいものはなんですか?

Ume:最後の晩餐だ。そうねー、食べ物は思いつかないけど、人生最後は笑って死にたいって思う。食べ物は元気なうちにたくさん美味しいもの食べておけばそれでよいかな。

CanCam氏:Umeさんらしいですね。Umeさん週末はダンスやら学校やら忙しそうですけど、それ以外ってどんなことして過ごしてます?

Ume:見る方のYouTubeばーです。特にご飯系のやつが多いかな。

CanCam氏:ご飯系のが好きなんですね。

Ume:そうそう。海外のご飯系のが好き。なんか海外旅行してる気分になれるし、食文化ってなんかおもしろい。いつか海外に住むという野望もある。。。

CanCam氏:海外ですかい!?遊びにいきますね。

Ume:待ってますね。

CanCam氏:じゃ、好きな食べ物は?

Ume:そば!

CanCam氏:好きな色は?

Ume:緑!

CanCam氏:好きな音楽は?

Ume:まったり系ハウス!

CanCam氏:好きな瞬間は?

Ume:ラーメン食べる前の一瞬!

CanCam氏:す、好きな、、

Ume:もうええわ!笑
編集後記:
S氏、協力してくれてありがとう。やはりインタビューも対話、相手が必要であるということに気付かされました。ダンサーたちにとって良い対話者であることについて、これからも探究していきたい。
CanCam氏、ど正面から取ってくれてありがとう。ど正面から撮れる感じがしたという後日談、とても嬉しかったです。これからもよろしくお願いします。
いろんな角度で撮ってくれて
確認しながらやってます
ロケ地:野毛山動物園

野毛山動物園
みなとみらい21地区を眼下に見下ろす高台にある、野毛山公園の中にあります。公園全体の面積は9.6ヘクタールで、動物園の面積は3.3ヘクタールです。 周辺には横浜市中央図書館などがあり、野毛山公園はちょっとしたお散歩コースになっています。

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